妙林寺は大乗山を山号とし、通称は三門(ミカド)の妙林寺と呼ばれています。当初は鳥取にありましたが、備前池田光仲公と因幡池田光政公とのお国替えの時に、慈雲院日意上人が光政公に従い、約380年前の寛永9年(1633)旧山崎町に寺院を創立したのがその始まりです。
その後、約330年前の貞享3年(1686)2月第6世一往院日周上人の代に現在の地に移転し、約280年前の元文元年(1736)に現在の本堂・祖師堂・番神堂・鐘楼堂・仁王門・山門・庫裡などを建立して現在に至っています。
昭和56年の宗祖七百遠忌を奉讃して本堂の大修理をはじめ、諸堂大修理(昭和大修理と称す)を行いました。
その後、平成8年に大客殿を建立し、同16年には本堂内陣の大改修を行って広く明るい御宝前となり、さらに平成26年(2014年)には仁王門の大改修を行い、夜間はライトアップされるようになりました。
多くの堂屋が立ち並び、多大なる檀信徒に支えられている中四国最大級の大寺院です。
建坪は110坪あり、約300坪の大屋根を有する県下随一の建築であります。
第6世一往院日周上人の代に現在の柳川交差点から移転しました。池田公の命により禅宗の「石井寺」を日蓮宗の「妙林寺」として使用する事となりました。
しかし、妙林寺は檀家様が多いので広い本堂が必要でした。そこで石井寺の本堂と同じ広さを左と右に、そして前にも建て増しをして、大屋根を載せて、5倍の本堂としました。これは京都の清水寺と同じ手法です。清水寺は人々が拝む場所がなくなったので仕方なく舞台を作ったのです。
正面に掲げられている「妙林寺」の大きな額は、紀伊国屋文左ェ門の書師であった江戸時代の有名な書家佐々木文山の書であります。
建坪は23坪です。妙林寺第10世の浄眼院日慈上人の代(280年前)に建立されました。「祖師」とは日蓮宗の宗祖「日蓮聖人」のことです。正面の祖師像は篤信者である草野勘七師が堀の内妙法寺(東京都杉並区、日蓮宗で一番有名な厄除け寺院)より拝戴した「やくよけ日蓮聖人のご尊像」です。
毎月1日には朝9時~夕方5時まで随時僧侶がお経を行い、30分ごとに各種祈願の受付を行っています。
正面の「マニ車」は転経器(てんきょうき)とも言われ、『法華経』の肝心である「妙法蓮華経如来寿量品第十六」の「お自我偈」が書かれております。
どうぞお唱えしながらお回しくださいませ。
門の上に掲げてある「大乗山」の額は藩主池田治政公(光政四世の孫)の書であります。
平成26年(2014)には大改修を行い、夜間はライトアップされるようになりました。
口の開いた阿形(あぎょう)と、口を結んだ吽形(うんぎょう)の「仁王様」を左右に安置しています。筋肉で力強い風貌から「健康・長寿」の神としてお寺を守っています。
唐破風の切妻造りで、扉は1枚ケヤキで出来ており、天井には彫刻が施された非常に珍しい様式です。
平成14年の立教開宗750年を慶讃し、檀家様の御寄付により、平成8年に完成。延建坪316坪。スロープ・エレベーターを設置し、全室イス席でお年の方にも優しい建物です。1・2階とも会議、御葬儀、御法事の控室などに使用できます。
特に、音響、照明の設備はすばらしく、結婚披露宴を行うことも可能です。
多宝塔の中から、お釈迦様が法華経を説かれているお姿を具現化しています。
宗祖の体内には御真骨が奉安してあります。
本堂内陣にある御宝前の天井絵は招福絵師 園山春二さんがガラスに特殊な技法で描かれた雲龍・水龍の天井画です。絵の具に使われた水は身延山から採取したわき水を使用しました。
お腹をさすりながら「南無妙法蓮華経」と唱えてお願いごとをすれば、そのお願いは叶えられます。
三十番神(日本国中にまつる30の神々)が毎日順番に日本の国土と私たちを守ってくれています。
「鐘つき堂」です。大みそかの日に参詣者が誰でも簡単につけるように、ロープを引っぱる仕組みに改造しています。
無尽蔵とも言える太陽光を使用し、有害なガスや騒音、振動を出さないので地球に優しい発電システムです。妙林寺は地球温暖化防止に協力しています。